2回に分けますと前回書いたのは良かったのですが、時間が経ってしまいテキストを力強く書くことが難しくなってしまいました。
今回は、「川内倫子M/E 球体の上 無限の連なり」@滋賀県立美術館の感想です。
自分がどこにいるのか
「(経過してゆく時間の中にあって)死に向かって環境を整えることはできる」(という趣旨だったと思うのですが)最初に書かれていた展示説明を見て、自分には何ができるのだろうと思いながら、展示を見ていきました。
サブタイトルのように書かれている「球体の上 無限の連なり」が浮かび上がっていると感じられる展示が多かったです。ニンゲンという生物が、大きな球体の上で連なって生きるている、その小ささと輝きを愛でて、祝福しているようでした。
SNSを常用していると、自分が乱反射されて自己肥大していくと感じます。自分の小ささは知っているつもりですが、「地球上でニンゲンは小さい」と写真で提示されると、言わなくても再確認してしまうのは、やはり写真の力と思いました。
小さくても力が合わさると、大きなコトもできるのです。そういうところは、ニンゲンからみた微生物と似ているように感じます。
最後の展示室では、地球上で撮影された(私にとっては)未知の光景の映像を大きなスクリーン2枚で見ることで、自分自身が映像の中にいるように光景と時間を感じ、別の場所の流れに思いをはせるような体験ができた展示でした。ダイヤモンドダストのシーンを2回くらい見ました。いい映像でした。
<Halo>では、影の中に光がある写真で、後から思い出すと小さい光でも力強さがありました。
独りでも1人じゃない
「川内倫子と滋賀」では、「大丈夫」と「血のつながり、時間のつらなり」というメッセージを受け取りました。
「川内倫子 M/E」では、「つらなりは、地球上の無数のつらなり」でした。自分も他人も何もかもがつらなりであると。
現実世界では厳しい情報を見ることが多いですが、今手元にあることには感謝しつつ、この先何ができるのかポンコツなりに考えたいです。
余談
無気力でも腹が減ったとコンビニへ行けば、店舗には店員さんが商品を並べてくれています。商品を配送する運転手がいます。お弁当や惣菜を製造する人、野菜を育てる人、食肉を生産する人がいて、私は食べて生きながらえています。そんな中、私は何をしているのでしょうね。
役割が自分にもあれば良いのかもしれません。でも少なくとも日本では、役割を持たない人も生きていける社会を目指してきたとも思います。まだ全員がそれを実現できる社会からはかなり遠いですし、この先何を目指しているかは違うかもしれませんが。
cahtGPTに人生相談すると、自分の持つ個性を尊重し、自己を追求して生きることを勧められました。自分を尊重すること、他人を尊重すること。自分の知性や才能を最大限伸ばすこと。自己の成長。そして他人を幸せにすること。
いろいろ難しいですが、好きな写真や書籍はありますし、好きな美術館・博物館もあります。動物園や水族館、植物園も。手遅れですが、まずそこに戻った方が良いのかもしれません。どうせどこかで野垂れ死ぬのは変わりません。
このブログもいつか消えます。存在できるあいだは、自分の好きなことを書いておこうと思います。読んでいただける方に伝わるように書けると良いのですが。
おわりに
写真を撮ること、撮った写真についてテーマを持って作品をつむぐ偉大な仕事を今回の展示で感じられました。
白い天蓋のような中で見た写真も、カメラ・オブスクラの中からのように見えた映像も、窓の外に見た展示もイメージがふくらんで面白かったです。
空気や時間を挟んで見られる地球上の光景が今後も続いてゆき、自分がいなくなっても、世界に光が溢れ、影がひとところによどみ続けないことを。
と思いましたが、これはニンゲンの価値観ですね。地球あるいは宇宙が何かを感じたりはしないのでしょうから、多様でありつづけても、消滅しても、「だからなんなん?」でいいのかも?
だんだんわからなくなってまいりました。(おわり)
「川内倫子M/E 球体の上 無限の連なり」@滋賀県立美術館は、2023/3/26(日)までです。
前回のエントリーはこちらからどうぞ。
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